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「音波」というペンネームをつかっています。


by rui-joe

エノキダケ

今日、会社でひさしぶりにエノキダケに会ったよ、と
父が言うので、
一度だけ家に遊びに来たことのある
エノキダケとのあまり愉快ではない思い出が蘇った。

父の会社の上司の友人の身内だとかいうことで
いわゆるお見合いのようなものだったのだが
もっと肩の凝らない気楽なあつまりにしたいということを
父と父の会社の上司と父の会社の上司の友人が相談をして決めており
わが家にエノキダケを招待することになったのだった。

会ったこともないエノキダケと仲良くするなんていうことは
その頃の私の想像力を突き抜けた珍事であって、
わたしは何週間も何日も前から気の乗らない気分だったのだが、
せっかくの土曜日を一日つぶしてうちにやってくるということで、
少しは友好的な思い出を残してやりたいと思い、
また、ある程度は、自尊心のようなものをくすぐられてもいたのだろうか、
エノキダケのことを暖かくもてなしてやろうと思ったのだった。

それまでにキノコの類と親しくしたことのなかったわたしはしかし、
エノキダケの訪問を心待ちにしていると思われるのもしゃくだったので、
父にはエノキダケとはどう付き合えばよいのかを聞くこともできず、
丘の上の図書館までバスに乗って出かけてゆき
図鑑でエノキダケのことを調べたのだった。
図書館の3階の自然科学のフロアからは
丘の下の街並みと緑を見下ろすことができてとても心地がよく
そうした明るい光の中で様々な色や形をしたキノコの写真が収められた図鑑のページを繰っていると
わたしはなぜここでエノキダケのことを調べているのか
本当はよくわからなくなっていたのだった。

わたしは本当はエノキダケのことを待ち望んでいるのだろうか。
あんなものはキノコにすぎないのだ。
これまでに数限りなく味噌汁にしてきたナメコのことや
お吸い物に入れてきた乾燥シイタケのことや
トマトソースに混ぜ合わせてパスタに投入してきたマッシュルームのことを
私は一度でも、交際相手として認めたことがなかったのではないだろうか。
しかしそれらのことはすべて、
あの明るい陽の照らす丘の上の図書館の3階の自然科学のフロアでは
ぼやけて遠くなって消えていってしまうのだ。

わたしはそれからこうしてこの丘の上の図書館の5階の人文科学のフロアで
ずっと自分の心を探して本のページをめくり続けている。
図書館にはあまりにたくさんの本が収められているので、
そのどこにわたしの心が書かれているのか、
すぐに見つかると思っていたのにも関わらず
見つけることができなくて帰るに帰れなくなってしまったのだ。
エノキダケのことをこうして思い出していると
胸のどこかがチクリと痛む気がするのだが、
いつかこんな気持ちも本のどこかに隠れてしまうのだろう。
早くわたしの心をみつけなくては
あのとき裏切ってしまったエノキダケに申し訳がたたない。
しかし、そんな気持ちも、いつかわたしは忘れてしまう。
by rui-joe | 2013-02-25 23:42 |